おんせん県おおいたの祇園祭! 大分県指定無形民俗文化財「中津祇園」の公式サイト

豪華絢爛な「祇園車」

祇園車

中津祇園では、御神幸で曳いて回る山車のことを「祇園車」(ぎおんぐるま)と呼んでいます。
いつから「祇園車」と呼ばれ始めたのかは不明ですが、下八町から山車が出揃った享保(1720年)の頃から、「祇園車」の呼び名があるようです。
天和3年(1683年)、豊後町有志から「京都の祇園にならって美麗な山車<だし>を出してはどうか」との発意があり、当時の藩主である小笠原長胤<ながたね>が、美しい山車を京都から取り寄せて豊後町に与えたのが「祇園車」の始りです。

かつて中津と関西は、瀬戸内海を通じて経済的な結び付きが強かった(中津藩主の参勤交代では大阪まで舟を利用等)ことから、中津の祇園車と囃子は、大坂のダンジリ文化の影響を受けたものである可能性が高いとされています。

大坂三郷における初期のダンジリは、屋根の下の舞台で様々な芸能を披露する形態の「楽車」であり、そのルーツは川御座船であるとされていますが、中津の祇園車は、ほとんどが舞台付きの踊車であり、「面舵」「取舵」といった操船の言葉を使って動かされていることや、囃子が大坂のダンジリの旋律と酷似してることから、大坂からの文化の伝播について近年指摘されているところです。

祇園車には、3つの特徴があります。
1つ目は、「折り屋根」と呼ばれる屋根の両端で、左右の軒の部分を上向きに折り曲げた格好になっていることです。
これは、路地の狭い中津の町に、できるだけ大きな祇園車を御神幸させるために考え出された中津祇園独特の形だとされています。

可倒式2つ目は、祇園車の高さを短時間で極端に低くできる事です。
これは殿様にお披露目をする際、祇園車を解体することなく城門を潜り抜けるための仕掛けで、この仕掛けを「可倒式」と呼んでいます。現在では、城門を潜る事が無くなったため、巡行中に見る事ができなくなりましたが、今でも「車建て」の際にはこの仕掛けを使っている町内もあります。

3つ目は、足回りです。
2トンから3トンもあると言われる祇園車を引き回すには、頑丈な足回りが必要です。
グル

外から車輪(グル)を挟み込んでいる大きな一枚物の部材が「台輪」と呼ばれる部位です。

京都の祇園祭の山鉾とは違い、内部に車輪(グル)を取り付けるスタイルとなっています。
これは、城内引き入れで段差のある路面を進むために、車軸(芯棒)を折れにくくし、強度を確保するためと言われています。

また、「台輪」の形態も長方形のままではなく、逆三角形のようにして前方を開けているのは、進入角度を確保するためとも言われています。

なお、車輪は(グル)は樹齢数百年の松でできおり、京都の山鉾や飛騨高山の屋台の車輪と比べると、かなり太くて丈夫なものが使用されています。

祇園祭が終わって祇園車が解体されると、虫食い等の被害から守るために、車輪は中津城薬研堀等に埋められます。

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